山奥にひっそりとたたずむブログ

趣味・日常のことを徒然なるままに。

『もののけ姫』「無縁」の消滅

 最近、『もののけ姫』を鑑賞しなおして、新たに感じたことについてつらつら書いていこうと思う。

 

 「無縁」という言葉がある。これは、俗世間の外側にあり、関わりを持たない人間や場所のことを指す。「無縁」な場所の一つに、山がある。山はムラの外側に位置し、ムラ側を「此方」「この世」、山側を「彼方」「あの世」とする思想・信仰で、一般に山中他界観という。

 山という「無縁」の場所で生計を立てている人物には、猟師と冶金職人が挙げられる。前者は森林が存立していないと動物を獲ることができず、後者は森林を伐採することで冶金の燃料を得ることができるという、互いに相反する存在である。しかし、「山幸海幸」神話や、「炭焼長者」伝説にみられるように、両者とも神聖視されていたように考えられる。

 

 話題を本題に戻す。

 『もののけ姫』の冶金職人集団は、元来外敵に対して自営の手段を持っていなかった。しかし、「エボシ」の登場で、冶金を行って石火矢や薙刀を生産し、また「たたら場」の周囲に塀や堀をめぐらした。

 これは、中世における、冶金職人集団の世俗化を意味するのではないか。すなわち、戦国大名に代表される世俗権力の領国統一の過程において、武力の源泉である鉱山とそれを支配する冶金職人集団が重要な存在になっていた。

 

 ここで彼らが迫られた選択肢は2つ。

 1つ目は、武田氏の金山衆のように、世俗権力の傘下に入る代わりに安全といくらかの特権を得ること。

 2つ目は、『もののけ姫』の「たたら場」のように自衛能力を所有することである。この場合、世俗権力の影響下に組み入れられていないだけで、彼らから付け狙われ続けなければならない、いわば世俗社会という土俵の中で取り組みをする権力の一員と化したといえる。

 どちらの選択肢を取っても、冶金職人集団の背後には強力な武力を存在するようになり、世俗権力の急先鋒として「無縁」な場所である山を開拓していった。『もののけ姫』の「たたら場」ともののけの争いはそのような経緯がもとになった物語ではないかと考える。